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修験道と原発

 日本人は、有史以来、木・森・山に神が宿るとする神奈備(かんなび)や磐座(いわくら)を畏怖し、崇めてきた。この思想と仏教が結びつき、山岳信仰が起こり、修験道が発達した。修験道は、各霊山を修行の場として、山に分け入り激しい修行を行うことにより、超自然的な能力(験力)を得て、庶民の救済を目指す日本独自の宗教である。修験者は、入峯抖擻(にゅうぶとそう)において、絶対的自然の中に自己を没入させ、人間を造った天地自然と合一させ、一つの不思議を顕現することができる力をもつことができると言われる。これは、人間の全知をもってしても、自然は絶対であって、自然の中でしか物事を組み立てていくしかないとの教えとも言える。

 20世紀なかばに人間は、自然には存在しない「原子の火」を手にした。この火は、ひとつは世界覇権の武器として、もうひとつは人類の究極のエネルギーとのふれこみの原発であった。どちらも、生み出してから廃棄するまでにばく大なコストがかかり、それらに携わる一部の産業に瞬間的な恩恵を与えたのみであった。彼らも、不自然な火であることを知っていたが故に、補助金やごまかし宣伝らで本質を隠蔽してきた。

 今、この火の後始末にどうしようもない状態に遭遇している。地震や津波という自然の力が引き金であったしても、この火は存在すべきではなかった。修験者たちは、修行の中で、不自然な発想をすることは決してなかった。験力をもってしても、この火の未来に安心がないと見切っていたと思われる。なぜならば、この火の後始末には、人間が責任の取れる年月とは桁違いに長い年月が必要であるからである。(Miya)


今月の草花


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