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クリントン訪朝をどうみるか

2009.8.8
広範な国民連合・京都 事務局長・佐々木道博

 8月4日クリントン米アメリカ元大統領の電撃的な訪朝は各方面に大きな衝撃を与えた。

 特に日本と韓国の政府にとって大きなショックであった。「単なる記者救出」という性格でないことは明らかである。日本のメディアもまともな分析もコメントも出来ないありさまである。

 しかし、逆に朝鮮労働党の基本戦略からすれば、彼らは当然の帰結であると考えているだろう。つまり、スケジュール通りなのである。4月以降の対米圧力の強化の結果と見ているに違いない。それが、クリントンと対面した金正日総書記の満面の笑みの中身である。ふりかえって、アメリカはブッシュ前大統領の任期最後に金融制裁の解除、テロ支援国家解除までは行ったが、朝鮮戦争の停戦協定を平和協定に変え、50年に及ぶ朝鮮敵視政策の停止まで踏み込めず6カ国協議は空中分解した。もちろん、この協議の中で「拉致問題」を理由に、6者の合意を一切履行しなかった日本政府の責任も大であった。

 そこで、朝鮮側はオバマ新政権にいろいろ球を投げ、今後の協議の可能性を探ったがオバマ政権は金融恐慌の対応に忙殺され、従来の朝鮮敵視政策を変えることなく3月に対「北」軍事大演習に踏み切り、半島の軍事緊張を一気に高めたのである。

 そして、これに対し朝鮮側は4月5日人工衛星、5月25日核実験、7月初旬10数発のミサイル実験を行い対米圧力を加え続けたのである。そして、この期間国連での制裁決議等なされたが効果もなく、結局アメリカとしてはこれ以上の対決を望まない、つまり「対話の中で問題解決をめざす」というクリントン・金正日会談での合意に至ったのである。

 これに対し、日本政府とマスコミは事態の推移と本質を理解できず金正日氏の健康問題や後継者問題に国民の関心を向けさせようとしている。これまで、あまりにも「気休め」や「手前味噌」の理屈で国民の世論操作をしてきたが、国際政治の現実からかけ離れていて哀れにも思える状況になっている。また、こうしたメディア影響されている一部進歩派と呼ばれている学者・評論家達の責任は重いと言わざるをえない。

 さて、今回のクリントン・金正日会談では、3時間以上にわたって議論がかわされたと報道されている。このトップ会談の中味は今後しだいに明確になってくるであろうが、クリントン政権時代の中心メンバーとオバマ政権の中枢メンバーが同時に会談に参加している実態をみれば、今後の展開が自ずと推察されるというものである。

 つまり、朝鮮問題の最後の課題である朝鮮戦争の停戦協定を変更し平和協定に変える問題である。核軍縮での合意と米・朝の国交正常化問題やこれらの問題を包括的に話し合う基本的枠組みなどについて突っ込んだ議論がなされたということであろう。今後、多少の紆余曲折はあってもいよいよ朝鮮問題が大詰めに入ってきたとみるべきであろう。50年にわたるアメリカの朝鮮敵視政策の停止(即ち米軍撤退)、国交正常化が最大のテーマとして議論が開始されてくるだろう。

 では、その時日本はどうするのか、対米従属と朝鮮敵視を国是としてきた日本政府(外務省)は大きく動揺しているが、政権交代と相まって日本として大きな決断をするべき時が迫っているということである。このまま、反「北」を貫いて核武装を主張するのか、日朝の国交正常化に大胆に舵を切るのか、まさに国の進路が問われているのである。

 しかし、この事態は日本の戦後政治を大転換するチャンスでもある。自主外交と経済的自立そして平和の道を選択できるチャンスということである。広範な国民連合・京都としても発足以来日朝問題に取り組んで来たが、今後も一層「即時無条件の日朝国交正常化促進の運動」を強化していくし今後全国の広範な国民運動として発展させていくことに寄与して行きたいと考えるものである。


[寄稿]2012年、強盛大国の大門を開く
目覚ましい変化を遂げる朝鮮民主主義人民共和国

2008.6.16
(株)京都総合研究所 代表・佐々本道博
<訪朝記録(2008年5月10日〜14日)経済問題を中心とした視察メモ>

朝鮮社会科学院経済研究所所長李幸浩氏インタビュー

 私は、2008年5月10日〜14日にかけて朝鮮人民共和国を訪ねた。5月13日には、朝鮮社会科学院経済学研究所所長 李幸浩氏と面談し、2006年から2008年の2年間にわたる朝鮮経済の動向についてインタビューを行った。

佐々木 まずは、前回、2006年8月20日に訪朝した折、京都大学経済学部大学院教授・大西広氏と私に対し、詳しく北朝鮮の経済状況について解説していただきましたことに感謝いたします。ところで、2006年から2008年の2年間は、どのような経済状況だったのでしょうか。また、今後の展望についてお聞かせください。

華氏 2006年の夏以降、特に2007年正月より我々は強盛大国の黎明期を迎えたと考えております。2007年は電力、化学肥料、繊維などの軽工業についても大きな変化が起こりました。すでに生産の全面的な正常化の段階に入りました。
 食料と農業、電力、軽工業、それぞれの成果について具体的にご説明しますと、第1に、食糧生産、農業部門のについて大きな成果が得られました。2006年は114.5%の増加。前年と比較し、年間11.5%増となっています。2007年は108.5%。水害の影響により2006年に比べると増加率が若干落ちてはいますが、それでも年間8.5%と高い伸び率を示しています。このように我が国の食料生産・農業部門においては、2年連続、国家予算の増加を達成しています。我々はこれで、食糧問題解決の土台ができたと考えています。
 食糧生産、農業における増加の要因として、次のことが挙げられます。
 一つは2006年の(ミルガ)原の自然用水路が完成し、大きな新しい耕作地を得ることができたことです。さらに、新品種のジャガイモなどの収穫に際し、1haあたり60ントンの生産をあげた地方もあります。肥料についても(フンナン)の工場で再建と現代化が終わり、生産が向上しています。特にジャガイモの生産に力を入れてきましたが、2008年には生産を開始して10周年を迎え、大きな成果を収めています。また、水問題、種子の問題、肥料の生産問題についても明るい展望が開かれてきました。
 第2に電力問題についてご説明します。
 発電所の建設問題について、我々としては大・中・小型の発電所を並行して建設する方針で進めてきました。2006年、2007年の発電所建設では、(テチョン)青年発電所4号機や(ウォンサン)青年発電所、(サムス)発電所などの大型火力発電所を建設しましたが、北西部でもいくつかの発電所を建設しました。
 特に、中小型の発電所は、1998年から2007年までで2倍となり、10年間で数百の発電所を建設しました。
 軽工業については、原料の(ビナロン)工場の現代化が終わりました。平壌(ピョンヤン)紡織靴工場、シルク工場の現代化が成功しました。これによって、生活必需品を十分に供給できる態勢ができました。
 この2年間の総括として、我が民族経済を経済強国として建設できる基盤ができたということがいえるでしょう。

佐々木氏
報告を行う佐々木道博氏

佐々木 李所長はこの2年間の成果についてどのようにお考えでしょうか。

華氏 「強盛大国建設」の定義づけについて、また「2012年に我々は強盛大国の大門を開く」という目標を掲げていますが、これらについて私の個人的意見を述べます。
 「強盛大国建設」とは基本的には我が国経済のチュチェ化、現代化により、強固な民族経済を発展させるということを意味しています。具体的な指導として、物質的な生活保障がなされ、衣食住の心配がなく暮らせる状況をつくりだすことを考えております。量的な問題については、主な工業製品で高い水準を達成し、食糧問題、衣料問題、住居間題でも満足のいく状況をつくりだすことが、強盛大国を建設するという経済面での方針です。具体的にいえば、朝鮮に暮らす多くの人々の夢である瓦ぶきの家に住んで、絹の服を着るという状況をつくりだすということです。
 2012年まであと5年ですが、「2012年に強盛大国の大門を開く」とは、何を意味するのか。私は、2012年の強盛大国が完成するということではなく、むしろ、2012年までに1980年代後半、我が国が達成した最高水準にすべての生産力を回復し、その後、強盛大国への道を遺進するということだと考えています。1980年代後半には、貿易量も当時40億ドル、食糧生産も700万トンから800万トン以上、電力生産も370kw以上、鉄鋼やセメントも現在の30%以上生産してきました。
 貿易量はすでに90年実績を超えて50億ドルを達成していますが、これは南朝鮮(=韓国)の分である15億ドルがありますが、これを除いて目標を立てています。その他、生産についてもあと30%程度の増加を2012年までに達成し、そこから本格的な強盛大国を建設していくということだと思います。
 80年代後半に掲げた10大目標を達成することが、社会主義の完全勝利に道を開くものであると私は考えています。(了)

報告会
盛会となった報告会


[寄稿]中国、中東、EU…海外から熱い視線が注がれる北朝鮮市場

2008.6.16
(株)京都総合研究所 代表・佐々本道博
<訪朝記録(2008年5月10日〜14日)第11回 朝鮮国際展覧会の視察について>

●朝鮮・商品展覧会を中心としての報告
 2008年5月12日、三大革命博物館において第11回朝鮮国際展覧会が開催された。前回は8カ国60ブースの出展であったが、今回は17カ国、220ブース(朝鮮側40ブース、海外出店180ブース)という盛況ぶりであった。特に、中国、東南アジア、中束、EU(欧州連合)諸国からの出展が多く見られた。中国勢のハイアールやTCLなどが大きくブースを占め、中国勢の朝鮮に対する期待感と勢いを感じた。
 入場者は一日1万人を超えていたと思われ、一般の商売人が多数参加していた。中でも化粧品や健康食品を取り扱うブースへの関心が高かった。EU諸国の人々は資源バイヤーの姿が多く見られた。ここ数年、毎年参加者が増加し、朝鮮経済の対外開放がかなり進んでいる。一般の人々には携帯電話の使用が許可されていないが、外国人ビジネスマンなどには携帯電話の使用を認めており、携帯電話を用いて商談する人々の姿をみかけた。

●建設ラッシュに湧く平壌と海外からの投資状況
 また、平壌(ピョンヤン)のあちらこちらで道路工事が行われ、高麗(コリョ)ホテル周辺の店舗も大改装中であった。これは9月9日の建国60周年に向けて、市内全域大工事に入っているということだった。
 1992年に工事か建設途中でストップしていた105階建ての柳京(ユギョン)ホテル(客室3000室)も工事が再開されていた。高さ320メートルの巨大ビルである。また、今回市内で初めて交通渋滞に遭遇し、かつてなかった風景に私も驚いたが、平壌を始めて訪問した人が、日本でテレビで見ていた風景と違うことに驚いていたことが印象的であった。
 今回は前回の訪朝の際、視察した開城(ケソン)工業団地には行かなかったが、2006年には朝鮮側の労働者が約7000人であったのに対し、2008年3月末では2万5000人が働いており、2年間で約3倍以上の人々が就業したということである。企業も17社から69社に増え、大きな変化が起きていると実感した。

 すでに述べたように、街中の工場や海外企業、エジプト、シンガポール、EU、中国勢などがセメント、ガラス、資源や携帯電話市場に参入し、一年間で数億ドルから数十億ドル規模に投資が拡大されてきていることを肌で感じた。経済研究所の研究者たちは、非常に着実に数字を上げ、決して大言壮語せず、2012年までの目標設定に向かって、確実に前進していこうという姿勢が見え、大変好感を持った。

<自主・平和・民主のための広範な国民連合・京都 連絡先>
605-0846 京都市東山区五条橋東2-18-1五建ビル3F 京都総合研究所内
メール:kokuminrengo.kyoto [a] gmail.com
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