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寄稿「日本のゆくえ」
2009-09-11 野崎日記(新しい世界秩序)より

本山

本山 美彦(大阪産業大学院 経済学部教授・京大名誉教授)
(広範な国民連合・京都 代表世話人)

 講演を前に、西島安則先生からお話をいただき、昔を懐かしんで聞いておりました。「西島節」と言って、いまのトーンだったのでございます。

 私が京都大学で学生部委員の寮小委員長をしていた時、西島先生の指揮下で、河合隼雄さんたちと一緒に寮問題で苦しんだ覚えがあります。その時に、尾羽打ち枯らしている私たちスタッフに対して、先生のお話がどれだけ勇気を与えて下さったか。西島先生のお話の内容が、今日私が皆さまにお伝えしようとしていることの趣旨と、全く重なっていますので、あら不思議なことだなと思っております。これも、学生は怖かったけれど、幸せな研究生活であった、その時の京都大学の雰囲気なんだなというように私には思えまして、今更ながら「ああ、懐かしい」と思った次第でございます。

 しかし、今日は緊張しております。やはり元総長の前でお話をするというのは大変なものです。よろしくお願いいたします。

 いまの日本の不幸は、若者が希望を失ってしまったことです。これは、私たち大人達の責任であります。どんなに貧乏な生活を送っても、将来に夢があり、現状変革を目指すところに若者の持つエネルギーが発揮されるのですが、いま、私どもは、彼らの将来の全てを潰してしまっているという閉塞状況を作っているのではないか。何とか若者に希望をもたらすような社会を早く作りたいと思っています。

 私は、経済学の教授を長い間しておりますが、経済学は嫌いで、早く哲学に移りたくて、ブログなどで随分とギリシャ哲学、とくに理系のギリシャ哲学をやっているのですが、世間が、私を引きずり戻してきて、この経済の修羅場をもっと勉強しろというようになっております。

 今日は、とくとくとお話をするつもりはございません。ものすごく痛みを感じております。とくに私の勤めている大学も、随分金融商品で大損をして、非常に大変な状況です。こちらもあちらも大変で、どうすれば良いのか。つらい時代に遭遇したものだと思っております。
 とにかく若者に夢を、そして私たち高齢者も、若者に夢を与える責務を果たすことによって、生きるという喜びを分かち合おうと思っております。

「経済学」のそもそもとは

 さて、まず「経済学」というものからお話をさせていただきます。「いろは」の「い」で申しわけございません。

 「エコノミー」という言葉には、「神の摂理」という意味があります。節約とか始末するとか効率的にするとかいう意味は、後に出てきた訳であり、「エコノミー」は「神の摂理」であります。

 神さまがこの世の中を創ってくれた時に、いろいろな法則的なものを創りました。それを発見することである、ということなのです。アジアでは「経世済民」、つまり世の中を立てて民を救うという、こういうものでありました。

 近代の経済学はこれを引っくり返すことから始まりました。神が作った世の中でなく、私たち人間が、とくに市民が作った世の中なのだと。ですから支配者とか権力者が民に命令するのではなく、まして強い国家を造るためではなく、市民生活の豊かさを創り出すものだという意味で、「エコノミー」を、「神の摂理」から「市民の動き方」という方向に解釈し直しました。これは未だ、アダム・スミス段階では無理でした。J・S・ミルから変わったと私は思っております。

アダム・スミスミル
アダム・スミス       J・S・ミル

 「経世済民」という意味ですと、経済学という言葉は、古代中国の時代からあります。ところが新しい意味においての「経済学」という言葉が日本語として定着したのは、福沢諭吉の恩恵であります。福沢諭吉が「経世済民」を説いたというのは間違いです。これほど可哀想な誤解はございません。「経世済民」的な、お上が民に命令するような学問であってはならないのだと、民が自分たちを律するという、そういうモラルに裏付けられた学問、これが「経済学」なのだと、彼は考えたのです。

 これがJ・S・ミルの思想と結びついてアジアに広まったのです。その福沢諭吉の思想に基づく「経済学」という言葉が、日本語の新しい造語として、アジアに定着したということであります。「エコノミー」も「ポリティカル・エコノミー」から「ピュア・エコノミクス」という形で、一応人民の、人々の生活だという方向に流れていったのです。これはいろいろ誤解されておりますので、是非分かっておいていただきたいと思います。

金儲けの手段ではない「経済学」

 ずばり「経済学」とは、金儲けの学問ではございません。少なくともアリストテレスが喝破したように、お金を儲けてはいけないのだと。人々にどうすれば雇用を与えていくかという形でお金は統制されなければなりません。だからアリストテレスは、お金のことを「ノミスマ」と言っております。人々の合意の産物だと。つまり、皆が納得することによってお金は使われているのであって、金儲けはいけないことなのだと。このような考え方、これが「経済学」の基本形だと私は思います。

 ですから、あるファンドのマネージャーが「お金儲けは悪いことですか」と、目をくりくりさせ、可愛い顔で言いましたけれども、私は悪いことだと思います。いまのお金は暴走しすぎです。

 分かり安く申しますと、私たちはコメの値段が五分の一になったからといって五倍のコメを食べるわけではありません。車が安くなったからといって何十台も自分たちで車を乗り回すわけではありません。少なくともモノに対する欲望には限界があるのです。

 ところが、お金には限界がない。一億円儲けた人は一〇億円欲しいでしょうし、さらに一〇〇億円が欲しいと。バフェットのようにアメリカの全サラリーマンの給料をも上回るぐらいの大金持ちになっても、それでもまだお金は欲しいのです。

 お金とはそういうものです。少なくとも私たちの「経済学」は、その歯止めのない、とてつもなく肥大化していく欲望をどう抑制していくかという役割をもって発達してきたはずであります。ところが、この二〇年間、いつの間にか「経済学」は、お金を儲けることが素晴らしいことなのだという方向に変わりました。その結果が今日の惨憺たる状況であります。

 企業も大学もわけの分からない金融商品を掴まされ、あるいはそれを売った企業もよく分からないまま売ってしまったということで訴訟に怯えているというように、お金によって世中が振り回され、組織がずたずたにされています。こういう状態の、不幸な時代に私たちはいま、生きております。アメリカのお金持ちのトップ四〇〇人の資産を合わせるだけで、アメリカの全三億人の人口の半分である一億五千万人の資産に匹敵するのです。これだけの経済格差を作ってしまったということは、「経済学」の失敗であり、犯罪です。

 かつての原爆の開発者たち、例えばアインシュタインたちは、悪魔の兵器を作ったという反省から原水爆反対運動に立ち上がりました。私たちはどうなのでしょう。金融商品を売りまくった連中、またそれを理論化した連中、そういう連中の中から、中谷さんはちょっと反省していますが、金融工学を駆使して金融商品を作った張本人たちから、第二、第三のアインシュタインが、私は出るべきだと思います。口を拭って黙ってしまっているということは何事かと言いたくなります。

アインシュタイン
アインシュタイン

 そういう意味で、「経済学」はもう一度、基本形から叩き直さなければならないのだということを、まず冒頭にお話しさせていただきます。

日本人の心とアメリカナイズ

先ほどの西島先生の「日本人の心」というお話ですが、わが意を得たりの思いでした。日本人がいいなと思うのは、破風です。例えば神社仏閣の屋根一つを見ても、むくり・起りで、何か反ったり曲がったり、凹凸を上手に駆使し、それもコンパスで描けないような非常にいびつな凹凸で一つの美を表しました。

 そして、破風だけではしまりがなさすぎるので、その奥にはシンメトリチックな、少なくとも大陸風の対称的な建物を造っていくという、その組み合わせで日本建築はできています。

 日本人は、乱を基本としています。バラバラになっている世界を当たり前の状態だというように見ていく癖が、私たちにはあったはずです。さらに、精神的なものから申しますと、功なり名を遂げて一世を風靡した人たちよりも、むしろその人たちによって潰されていった弱者に対する眼まな差ざしというものが、私たちにはあったのです。判官贔屓というのは正にそうなのであって、歌舞伎を見ても何を見ても、結局は弱者に向ける温かい眼まな差ざしがありました。

 この美点が、戦後の日本を救いました。私たちの生き方、考え方というものが経済政策に反映されました。これが戦後の日本の成長を支えました。それがいつの間にか、日本は遅れている、日本はだめだと言われるようになってしまいました。アメリカは素晴らしい、アメリカンドリームはすごいというように、全てがアメリカ、アメリカ、アメリカとなりました。

 アメリカの特定の大学を出た者しか日本のアカデミズムでは評価されなくなるなど、悲しいことが起こっています。この二〇年、右向け右でアメリカの方向ばかりを向いていたその付けが、いま来ているのです。

戦後直後の日本とは

 そこで、戦後直後の話をいたします。今日はこれが一番言いたかったのであります。敗戦のとき、日本には何もなかった。私も広島に疎開し、その疎開先に原爆が落ちるという、大変な状況だったのですが、その広島で幼少時代を過ごし、そして神戸に帰ってきた時の、あの焼け野原はいまでも忘れません。何もありませんでした。三〇時間、貨車で帰ってきて、三ノ宮駅で降りたら見渡すかぎり焼け野原。これには本当にびっくりいたしました。何年経っても、戦後のあの風景が脳裏にこびりついています。

 当時の日本は、最貧国だったのです。貧しさの程度を視覚的に申しますと、平均身長の落ち込みがあります。私は昭和一八年生まれで、この時には、元気な男はみんな戦場に行っており、とにかく敗戦濃厚であり、戦後直後は食べ物がないという状態でした。明治維新から日本人の平均身長はずっと上がってきたのに、私の年齢層だけが平均身長が下がっているのです。いかに栄養不足であったかということです。因みに同じ遺伝子を持つ一〇歳年下の私の弟は、私よりも一五センチも背が高いのです。こと程左様に、戦争というのはもの凄く大変だったのです。

 それが驚くなかれ、わずか一一年後の一九五六年(昭和三一年)の『経済白書』では「も
はや戦後ではない」という、あの有名な言葉が躍ったのであります。わずか一一年です。「もはや戦後ではない」とは、工業国家として、昭和一一年の水準、つまり、五大工業国の一つであった生産力水準に復帰したことを指します。これは奇跡です。わずか一一年間でここまで来れたのです。

 私は、途上国問題が専門なのです。世界はこれまで、途上国に対して膨大なお金を費やしてきました。それでも途上国は、豊かになってくれません。しかし、日本は何もなかった最貧国の段階からわずか一一年で五大工業国に復帰したのです。

 私たちはそのことを思い起こすべきだと思います。あの時の何がよかったのだろうかと。

 大陸から沢山の人々が引き揚げてきて、失業者が溢れました。ですから、電電公社、国鉄、郵便局等々、あらゆるものを活用してきました。

 政府は、失対事業をやりました。とにかく失業者を救済することをやってきました。どんなに辛い時でも企業は従業員の首を安易には切りませんでした。激しい労働運動もありました。経営者たちは、労働組合と命がけの対決をしてきました。そして、労働組合と経営者との間に、意思の疎通と共感が芽生えます。そこを潜り抜けて、辛い目をしてきた人たちが社長さんになってくれていました。

 いまのように、経理しか知らない人たちが社長になる時代とは全く違いました。そして、どうしても不景気で人員削減をしなければいけない時には、真っ先に経営陣自らが退陣していました。あるいは退陣しないまでも、自分たちの報酬を低くしていきました。あの時の経営者といまの経営者の、この違いは何だと思います。自分たちは全く給料を下げずに、とにかく従業員の首を無慈悲にも切っています。こういうことが当たり前になっています。私たちはもう一度、戦後直後の日本を思い起こしていかなければいけないんだと、これを強く言いたいのです。

マーケットは間違う

 なぜ戦後直後の日本が凄かったのか。今西錦司さんのいう「棲み分け」があったからです。

今西

 先ほど私は、冒頭に「日本人の心」とはと言い、破風、乱と言いましたが、これが西田哲学なのです。絶対的矛盾の自己統一なのです。

 つまり、AとBとはそもそも相容れない。常に対立する。常に対立しているけれども、互いが互いを潰し合わない。しかも共存してしまっている。それを西田哲学は「アジアの心」という言葉で訴えたのであります。これが若者の心をとらえ、『善の研究』が大ベストセラーになったのであります。

 つまり、正しいものは勝つ、正しくないものは負けるんだという、そういう思想ではなく、とにかく負けるものへの温かい眼まな差ざしを持ちながら、相対立するものがどう共存するかという思想が、少なくとも東アジアには強かったと私は思います。これをもう一度思い起こそうではないか、ということであります。

 戦後の日本の経済学者たちは、「マーケットは間違う」、市場は決して正しくないという基本的な理解をもっていました。

 不思議なことに、戦後の日本ではマルクス主義者たちが政府審議会には多かったのです。大内兵衛とか有沢広巳とか、錚錚たる人たちがいました。彼らの共通点は、「マーケットは間違う」という認識でした。ですから、いまとは基本的に違うのです。いまは、「マーケットは正しい」という空虚なスローガンが支配しています。

 例えば、新日鐵という会社があります。新日鐵がなければ日本のトヨタはあり得ません。
いくらトヨタが偉そうにしても、あの世界最高の鉄を作る新日鐵の存在がなければ成り立ちません。

 しかし、鉄は可哀想に、もの凄く沢山の人間を雇い、巨大な装置産業ですから、はいサヨウナラと中国には行けないのです。北九州にドシンと居座るしかないのです。しかも、一所懸命作った製品の購入者は、あの怖いトヨタであります。原価計算も全部、お客さんの方が知っていて、弾き出してきます。あなた方はこの価格でいいと思っているのかという内容で、半年がかりの値段交渉をやるのです。

 結局は力関係で、天下の新日鐵といえどもトヨタに押し切られてしまいます。トヨタが悪者ではないのですよ。安く買いたいというのは当然の当たり前の行動ですから。しかし、私たちのような素人相手の商売ではなく、プロしか相手にしていない新日鐵においては、そこそこの粗利益が八パーセント程度に抑えられてしまいます。ですから、素材産業と言うのですが、川で言いましたら上流の産業は、儲からないのです。特別なカルテルを結ぶとか、力を結集するしかないのであって、普通の売り買いでは儲からない宿命にあります。

 儲からない産業の最たるものが農業です。いくら農民が頑張っても、スーパーで価格が決められてしまうのですから、どれだけ努力しても報われないのです。結局は、儲かりません。

 一方、私たち素人相手の商売は、儲かります。男性のネクタイにしても、あちらもののブランドは高いのです。一方、私の愛している西陣のネクタイは高くない。これは日本のブランドだからなのです。横文字になると、とくにフランス、イタリア風になってしまうと、とてつもなく高くなる。これが合理的個人の選択だと思いますか。素人相手の商売はフォー・セール、如何にすれば素人を騙すことができるかということが基本なのです。

 同じ商品として、モノを作っていくのでも、基礎的な産業とふわふわしたファッション的な産業とは基本的に違います。それを、「いい物を安くすれば消費者は分かる」と言うのは間違いです。
 私は本屋によく行きますが、本は奥にあると売れないのです。棚に乗ってしまったらもうダメです。平積みと申しまして、テーブルの上に置いてくれなければいけません。本は、平積みの所に置かれれば、必ず売れていきます。結局、狭い売り場で、そこでいい売り場をとろうと思いましたら、それはもう力関係になってしまいます。いい品物をいくら作っていてもダメなのです。

 これは、一般の人々が皮膚感覚で感じていることなのです。ところが、なぜ「経済学」だけは「需要と供給で価格は決まる」なんて、現実にはない前提から理論を始めるのでしょうか。マーケットは歪いびつである、間違っている、そもそも人間は不合理で、その不合理な人間の選択に、正しい選択なんかまずあり得ないのだ、と何故言わないのでしょうか。

失敗した「金融の自由化」

 このところを直視しましょう。少なくとも戦後直後の日本の官僚たちに、私たちは感謝しなければいけません。彼らは、鉄を潰さなかった。素材産業を潰さなかった。しかし儲からない。儲からなければ民間の銀行は扱わないので、政府系銀行で賄ったのです。日本長期信用銀行、日本興業銀行、そういうもので補ったのです。私たちはそういった銀行には預金をしません。ですから政府系のお金が注がれていき、また割引債などが発行されました。この割引債は無記名でしたから脱税に非常に良いということで、それが買われた。割引債の発行によって一〇年、二〇年、三〇年という長期的な投資を保障する金融制度があったのだということを分かっていただきたいと思います。

 中小企業レベルにおいては、昔の無尽の伝統を継ぐ相互銀行や、新しい第二地銀とか、あるいは信用金庫、信用組合、所轄官庁は市町村という所まで配慮して、地元の地場産業をとにかく応援していく金融組織がありました。庶民の住宅取得においては、住宅金融公庫というものがありました。

 儲かる分野には都市銀行が配置されましたが、これらは厳しく日銀や大蔵省の監督下におかれました。

 これが日本型の金融制度でありました。これは世界に冠たるものだと私は思います。金融の棲み分けが日本経済を成長させたのです。ところが、いつの間にか「護送船団方式」という忌まわしい言葉がマスコミに踊るようになりました。官がああしろ、こうしろと指揮して、皆がそれに従っている。だから大きな社会の変化に対して日本は、対応できない。よって全ての境界はなくさなければならない。だからこそ、「金融を自由化」しなければならないと。

 「金融の自由化」を行った瞬間に、儲からなかったはずの日本長期信用銀行や日本興業銀行から破綻が生じました。当たり前であります。

 そもそも儲からないから張り付けられていたのに、用意ドンで競争しようとした時には、優良なお客さんはいないわけであります。こういうことを「経済学」の名の下に行ったのだと言えます。これは「経済学」の犯罪だと私は思っています。

 はたして、「金融の自由化」が起こる以前では、どこの銀行が潰れたでしょうか。それまでは、私たちは五%以上の金利を手に入れ、そして長期ローンを組むことも許してもらえました。いまのような貸し剥がしなどはありませんでした。突然金利が変わるということもなかったのです。

 それが、「金融の自由化」という美名のもとに、すべてが用意ドンで競争し、儲かるものしか生き残ってはいけないのだとなってしまい、日本では二一行あった都市銀行がわずかに三行に集約されました。こんなことが、世界に例があったでしょうか。
 少なくとも「金融の自由化」は失敗であったと言い切る経済学が、あっても良いと思います。「金融の自由化」によって、はたして得をした者がいるだろうかということがポイントであります。

かつての日本の金融システム

 敗戦後の戦後一一年間で五大工業国に復帰したということの最大の足腰は、日本の金融システムだったと私は思います。

 日本の金融の素晴らしさを評価する人として、バングラデシュのユヌスという人がおります。経済学者です。可哀想に、ノーベル経済学賞はまだもらっていません。ちなみにノーベル経済学賞は、ノーベル賞ではないのです。
アルフレッド・ノーベルを記念してスウェーデン銀行が作った賞です。ですから賞金はノーベル財団からではなく、スウェーデン銀行から出ます。それはさて置き、少なくとも、金融というものが日本の足腰であったということを思い起こしてください。

 つまり、金利は五・五%で、大銀行も小銀行も皆同じ五・五%なのだから、私たちは、つい近くの銀行にお金を預けます。会議室を貸してくれるから、住民運動会にビール一ダースを寄贈してくれるからという程度の理由でその銀行に預金していたのです。銀行の名前に関係なく、私たちはお金を預けておりました。
 しかも、世界に類をみない日本語があります。「奥さま」であります。「奥さま」に匹敵する言葉は、外国語にはまずありません。奥にいらっしゃる方、台所に鎮座されている方、そして切り盛りをする山の神さま。私たちには、とにかく月給袋の封を切らずに奥さまに渡すという美意識がありました。
 そして、「頼む、今日コンパがあるんだ」ということで小遣いをもらいながら、家計を任せてきまして、それを見て子供たちは育ってきたのです。私の親父もそうでした。本当に可哀想でした。まあ私も同じでございますけれども。(笑い)

 ですから、日本の貯蓄率は世界最高なのです。OECD三〇ヶ国の貯蓄のうちの五〇%は我が日本一国で持っています。それほど巨大な貯蓄なのです。これは男性の力ではございません。女性、即ち「奥さま」の力なのであります。
 この文化が崩れると、日本の貯蓄率は低くなるでしょう。財布のひもを握らせてくれないで、何がアメリカの女権が強いのでしょうか。財布のひもを握らせてくれないところでは、所詮は男性横暴社会でありますから、当然貯蓄はいたしません。借金だらけの経済になってしまいます。ここも思い起こしていただきたい。

 日本のそういう文化の中から出てきた金融システムというものは、ものすごく安定的な金融でありました。私たちは銀行にお金を預けっ放しにしていました。銀行も、とにかくこの企業を育ててみせるんだという気概を持っておりました。

 住友銀行がマツダを見捨てた時には、世間の非難が住友銀行に集中しました。分かってないと言われて。銀行とは企業を育てていくものだという思いがあったのであります。

 また銀行マンも、自分が担当している企業に対しては懸命になって支えようとしたし、世界の情報を集めてきて、コンサルタントをしていました。いかに長期的な技術開発をさせていくか、そのために長期金融をつけるかというのが金融マンの醍醐味でありました。この文化が破壊されたのです。

 グラミン銀行の創設者であるバングラデシュのユヌスは、日本の頼母子講の研究をしております。

 日本の凄さというのは、ユヌス先生も言っておられますが、五人組とか、あるいは日本人の好きな言葉の「連つながり」なのです。この「連」を研究していたとき、これは凄いということで、奥さまの力をバングラデシュでも利用しようとしたのです。グラミン銀行は女性にしか融資をしておりません。それがバングラデシュで最大の銀行であります。しかも焦げ付きはほとんどありません。無担保であります。これがノーベル平和賞をもらったのであります。経済学賞ではありませんでした。

 私たちが忘れているのは、そこなのです。日本にあった昔ながらの金融システムを、どうしてアメリカと違うというだけで、ぼろ雑巾のごとく捨ててしまったのだろうと。逆立ちしてもアメリカは、日本の金融制度を創れないのです。

 私たちの財産は何なのかという、こういったことの思い起こしが、一番大事なのであります。

戦後のアメリカの対日戦略の変遷

 はじめアメリカは、日本に気前よくモノを与えてくれていたのです。例えば自動車などは、日本は本当に幼稚産業でした。アメリカ製はセル一発でモーターがかかりました。ところが私たちは車の前に回って、クランクを一所懸命回しました。しょっちゅうエンストを起こしました。しょっちゅうオーバーヒートを起こしました。

 このようにアメリカ車と日本車の差に歴然たるものがありながら、アメリカのビッグスリーは日本に入って来ませんでした。これは我が日本の競争力が強かったからではありません。アメリカの国策です。反共の国家として、資本主義的繁栄をさせなければ、と。アジアがすべて共産主義になっている中で、資本主義が素晴らしいのだと思わせるためには、まずは日本の民族資本を育成するしかないのだというのがアメリカの戦略でありました。

 一ドル=三六〇円という為替レートも、これは正直申しまして、円安だったと思います。その間に、連鋳設備とかいろいろ技術を日本は盗むのですが、アメリカは、それにもいちいち文句は言いませんでした。鷹揚に構えておりました。これは、反共国家を造っていきたいという、ただそれだけの政治的な思惑でありました。

 そして、冷戦体制が終わりました。今度は日本の経済力が邪魔になります。あっと気付いたのです。あらゆる産業が、日本によって潰されたと。日本のトランジスタ・ラジオが出たお陰で、アメリカのラジオ産業は潰れました。ブラウン管はそもそもアメリカのものなのに、自由に使わせてしまったためにテレビもアメリカではもう作れなくなってしまいました。コンパクト・ディスク・プレーヤーもそうですし、液晶もそうです。気付いたら何もない。そして、この野郎というかたちで日本いじめが始まったのでありますが、アメリカのまだ甘いも酸っぱいも分からない経済学博士を持っているだけの若造たちが、したたかな日本の老人たちに翻弄されている姿を見て、アハハと私は思っていました。

 しかし、アメリカも気付いたのです。これはイカンと。そこで登場したのが、ゴールドマン・サックスの会長、ルービンです。彼の指揮下で行われたのが、日本の銀行潰しです。これを叩き潰したら日本の産業の足腰も潰れてしまうはずだと。

 その戦略は、結果的に正しかったのであります。日本の銀行は、潰れました。その時に持ってきた理論というものが凄いのであります。正直言って、こういうところがアングロ・サクソンと農耕民族の私たちとの違いなのです。

 とにかく、銀行預金が日本の全てである。しかし、銀行預金は銀行にとっては自分のお金ではない。借金だ。この人様から得た借金で長期投資をするとは何ごとかと。一年という短い期間のお金を借りて、それで一〇年という長期投資をするとは何ごとかと。ここを攻めてきたのです。これがBIS規制というものであります。BIS規制で示された資産のうちの自己資本が八%というのは、あれは言葉の綾で、自己資本の一二・五倍しか融資してはいけないぞという意味なのです。しかも、日本の巨大銀行は自己資本なんか持っていません。日本人は銀行が株式を発行するなんて思ってもいませんでした。自己資本がほとんどない状況のもとで一二・五倍と言ったら、これはもう壊滅的打撃です。

 日本の銀行は、系列の企業集団の中核にいて、系列企業の株式を大量に保有していたのです。系列外から買い占められることを警戒していたからです。
 BIS規制設定後、銀行の自己資本を上回る株式を持ってはいけないということになった。自己資本以内に保有株を収めろとなってくると、値段の高い優良株から銀行は売るしかありません。その株を外資が買い漁った。気付いたら日本の優良企業のほとんどは、自社株の四〇から五〇%を外資に保有されている状態になった。

 保険の新しい第三分野というものも、ほとんどが横文字になってしまっている。それに加えて、「M&A」(企業買収)の横行。企業がいともたやすく乗っ取られ、売られています。

 私もお世話になった学生援護会。これが元大統領が関与するアメリカの巨大ファンドに乗っ取られた時には、もの凄く腹が立ちました。乗っ取られるだけならまだしも、学生の援助事業を解体した後、転売してしまったのです。本当に酷いと思いました。

 そういった「M&A」をすることが企業経営者の格なのだというようになってしまいました。お陰で企業経営者には、自社株がどれだけ上がるかということが大事になってしまいました。一瞬、ライブドアがNTT株を追い抜くという異常な状況まで出てきます。とにかくマスコミを通じるパフォーマンスをやって、株がぼんぼん上がっていって、積極果敢な「M&A」をやれば一流の経営者なのだとされるようになってしまいました。

 株が上がるためにはリストラで人間を減らさなければならない。人間を減らす時に、いつでも人の首を切れるように非正規社員の比率を増やしたのです。いまは日本人の三〇%が非正規社員です。

 こういったことは経済政策の結果、起こったことなのです。これは不可避の結果ではないのです。きちんとした経済政策さえしていれば、こんな地獄は起こってきませんでした。

 そういった形で日本の銀行を叩き潰した当のアメリカは何をやったかと申しますと、投資銀行を育成するようにしていったのです。

 ちょっと横にそれますが、日本人が誇るべきものは、少なくとも創業一〇〇年以上も続く企業が日本全体で一〇万社を超していることです。アメリカでは二、三社でしょう。一〇〇年を超える、これは凄いことです。

 これがアメリカ的な財務体質になってきて、社外重役がどうの、株式の公開がどうのとなってきたら、突然、あっという間に日本の老舗はつぶれてしまいます。少なくとも、株主が文句を言えるような企業でなかったらダメなのだということになると、このまま行けば、従業員を独立させるべく、「よう頑張ってくれた、暖簾分けしてあげる」とか、「お客さんも紹介するよ」という、そんな日本的な企業はもう無くなっていくのでしょう。

 京都は壊滅的な打撃を受けてしまいます。このようなことで、私は日本の老舗を随分心配しているのであります。

アメリカ式投資銀行へ

 日本は一所懸命、預金銀行ということでやってきました。日本的銀行のことです。わかりやすく言えば一階にある銀行のことです。私たちが立ち寄ることのできる銀行です。

 一方、いまから申します投資銀行とは、三〇階、四〇階というビルの上の方にある銀行であります。私たちが「こんにちは」と立ち寄っても、何しに来たという顔でじろっと見られるだけです。この投資銀行に、アメリカの銀行がシフトしたのだと思ってください。自分達はBIS規制を主張しながら、アメリカ自身はBIS規制なんかへっちゃらという形で、BIS規制のかかる商業銀行からBIS規制のかからない投資銀行の方に鞍替えをしました。

 そしてどちらも名前は「バンク」(銀行)です。コマーシャルバンク、インベストメントバンク。「バンク」が同じだというので、アメリカのバンクに比べて日本のバンクの、何と営業利益の低いことよ、日本人はだめだとやられて、私たちもそうかなと思わされてしまったのであります。
 この投資銀行は、私たちから預金を預りません。大金持ちをお客さんにします。あるいはファンドをお客さまにする。彼らの資産を運用していくという銀行形態であります。

 彼らは、誰から資金を得ているかということを当局に報告する義務はありません。その代わり、自分たちはBIS規制を逃れます。そして何でもさせてもらえます。これが「金融の自由化」です。そして、倒産しても文句は言いません。自己責任であります。じゃあ、それでやろうという方向へ持ってきたのであります。アメリカの中央銀行であるFRBには、投資銀行の管轄権はありません。お分かりでしょうか。日銀の管轄権の及ばない銀行は日本にはありません。ところが、アメリカの巨大な金融機関は、投資銀行形態をとると、FRBの管轄外に逃れることができていたのです。

 そして、投資銀行のトップであるゴールドマン・サックスのルービン元会長を、クリントン政権が財務長官にしました。ブッシュ政権の財務長官がポールソン。二代続けてゴールドマン・サックスの会長であります。こんなことは、日本的な感覚で許されるでしょうか。住友銀行の西川さんが財務大臣になったらどう思われますか。

アメリカの金融界

 こういう背景で、アメリカは、投資銀行全盛時代になりました。そして何が起こったのか。

 まず、貸し手責任がなくなりました。商業銀行だったら、貸した責任者は返って来るまで、おちおち夜も眠れません。それが貸し手責任であります。ですから必死になって相手の企業をてこ入れしていきます。貸す時にも必死になって稟議書を回していきます。これが貸し手責任です。

 ところが、投資銀行は貸した瞬間に、その取り立てる権利、債権を証券化し、第三者に転売します。転売した瞬間に、自分たちは回収していく義務から逃れるのであります。これが第一の問題であります。

 第二の問題はレバレッジです。設備も人間もいらない、コンピューターがあればいい。お金は、何回も回転させればいいのです。他人さまのお金を借りてレバレッジをやって、大きくどんと儲けていくということが、また可能になっていきます。これを、当局は放置してきたのです。

 ロング・ターム・キャピタル・マネジメントという、ノーベル経済学賞受賞者を二人も抱えた会社が倒産しました。これは大変だというので、先物取引市場の長官は当時女性でしたが、その女性が、金融商品を取り締まろうとクリントン政権時代に訴えていました。そのころのアメリカの実業界も、投資銀行のあまりの悪辣さ品のなさに反発していて、その女性を支持しようとしていたのです。

 ところが、こんなことをするとアメリカは崩壊するぞと言った張本人がルービンであり、ルービンの子分のサマーズであり、サマーズの子分のガイトナーであります。この三人が寄ってたかって、デリバティブに規制をかける動きを潰してしまいました。一九九八年のことでした。以降、アメリカで、規制をしていくことは出来なくなりました。これが現在に繋がっているのであります。

 因みに、ルービンが行った最大の問題は、金融機関の銀行と証券と保険、この三つを区分けしなければならないという、一九三三年の「グラス・スティーガル法」を潰したことであります。これをルービンが一九九九年に潰してしまいました。そして、「金融近代化法」を作り、この三つが同時に運営されるようになり、その最初の適用会社がシティグループであります。そのシティグループのトップの経営者にルービンは着任いたしました。それは日本のいまの郵政・簡保どころの騒ぎではないのです。少なとも自分の作った巨大組織のトップに座ったのであります。

 怖いことを申しますと、そのルービンが、ハミルトン・プロジェクトというものを作っております。これは初代財務長官のハミルトンで、不遇の人でした。現在のアメリカの一〇ドル紙幣の肖像画であります。この不遇の人の名をとったハミルトン・プロジェクトを作りました。今度のオバマ演説のほとんどは、そのハミルトン・プロジェクトの内容であります。

 これは二〇〇六年四月、ブルッキングス研究所で、ルービンの名で発表されました。その時のこけら落としの演説がバラク・オバマであります。その当時は、まだ大統領候補でも何でもありませんでした。このルービンがオバマに演説させておりまして、ここでアメリカの知識人に対するアピールを行ったのです。二〇〇六年四月の段階で、もうオバマの流れは決まったと言ってもいいのではないかと私は思います。

 別にハミルトン・プロジェクトの内容が悪いと言っているのではないのですが、少なくともルービンとサマーズが作ったプロジェクトそのままの内容の演説をオバマが行ったということは重要です。

 私は、毎日新聞に依頼されて、オバマ大統領の就任演説を徹夜で聞きました。その前にハミルトン・プロジェクトを読んでいたものですから、演説を聞いたときにはびっくりしました。だんだん腹が立ってきました。私は随分辛口のコメントを、二時間ぐらい毎日新聞の取材でしゃべりました。一月二二日の『毎日新聞』に掲載してくれました。あの日、オバマ批判をやったのは毎日新聞の私の談話だけだったと思います。記者には、デスクでこれは潰されるぞと言ったのですが、よくぞデスクは掲載を許してくれたものです。感謝しています。

アメリカの金融危機

 なぜオバマがGMにこだわるのか。GM関連の企業に雇用されている三〇〇万人の人間の雇用を確保するためだというのが口実ですが、一七〇億ドルもの巨大なお金を注ぎ込んだ見返りとして、「早くリストラをやれ」「首を切れ」でしょう。雇用確保が目的ではなかったのです。何が何でもGMを残さなければならないのです。

 これは何かと申しますと、ここが一番怖いのですが、皆さんがお聞きになっているCDSです。クレジット・デフォルト・スワップ。つまり、簡単に申しますと、GMが倒産すると思う人、GMが倒産しないと思う人とが、このCDSを賭けているのです。圧倒的な発行者はAIGです。AIGはもちろん倒産しないという方に賭けて、CDSを売りまくったのです。いざというときには支払ってさしあげますよと。しかし、いざということは起こらないから、売って稼げということです。

 一方、GMが倒産すると見た連中は、とにかくここでCDSを買っておけ、GMが倒産すれば、AIGから支払ってもらえるという判断です。実際に補償額が入ってくればCDSの購入費をはるかに上回ります。CDSが、GMが倒産するかしないかの賭けの手段に使われたのであります。例えば私は生命保険に入っています。私が死んだときに家族に迷惑をかけないために入っているのです。ところが、私の知らない第三者が、私に生命保険をかけたらどうなるか。私が早くうまく死んでくれたら、まんまと保険金をせしめて、その人は得をします。これなのです、CDSの怖さは。だから、これは金融における大量破壊兵器と言います。

 これが六〇兆ドル(約六千兆円)もあります。GM関連のものがもっとも多いのです。ですからGMを潰せば、AIGが破綻し、AIGの破綻が世界金融恐慌を瞬時にして起こすのです。

 AIGが国有化され、GMも国有化されるであろうことの理由はここにあるのです。よって何が何でもGMには梃入れしていかなければいけないんだという流れなのであります。とてつもなく巨額のお金が出されています。

 ニューディール政策という言葉をご存じでしょうが、昔はルーズベルトといい、最近はローズベルトと書かれる、そのローズベルトがニューディール政策でどれだけのお金を使ったかというと、わずか四九億ドルです。この数値は記憶しておいてください。それがニューディール政策なのです。それまでは、政府は民間に介入しないという約束だったのです。それが初めて介入しました。と言ったところで、わずか四九億ドルです。現在の金に直しても、計算の仕方はいろいろあるのですが、だいたい七五〇億ドル位です。その程度です。これがニューディール政策でした。

 オバマ大統領が約束したお金は三兆ドルです。ブッシュ時代からを入れますと、ざっと八兆ドルははるかに超すでしょう。オバマは、わずか一ヶ月で三兆ドルを約束したのです。しかし、三兆ドルを約束しても、株が暴落する。何故でしょうか。これだけのお金を出し、いまはとにかくスピードが大事なんだと言い、日本のマスコミは、オバマを積極果敢な人だと褒めています。しかしアメリカの株は下がります。理由は、何の具体策もないじゃないか、お金を出すだけじゃないかと投資家が見限っているからです。

 現在のアメリカの金融危機の根本は、投資銀行をどうするかということであります。そして、投資銀行のデリバティブ、金融商品が自由奔放に売り出されることに対して、何らの規制もなかったのです。FRBは監督しようにも監督できなかった。財務長官は、ルービンに代表されますように、それこそ投資銀行の親分であります。自分の首を絞めることはしないのです。

 いまのオバマ政権の重要人物が、サマーズであり、ガイトナーであります。金融の自由化を押し進めてきた張本人たちです。ですから、アメリカを奈落に導いた、その原因の除去をオバマ政権はやりません。お金さえ出せばいいんだという姿勢です。三兆ドルといったら凄い額です。アメリカのGDPは一五兆ドルです。一九二九年当時、アメリカのGDPの一六〇%ぐらいが借金でした。大恐慌で、その二年後には借金が三五〇%を超しました。

 すでにアメリカ自身が一〇兆ドル以上の借金を抱えておりますから、そのまま借金が累積されていくと、今年の終わりか来年の初めごろはGDPの五〇〇%ぐらいの借金の累積になっていくだろうと思われます。誰が払うのだということの処方箋もなく、金さえ出せばいいのだと。

 ですから、アメリカ人は、とくに金融機関は、不安に駆られるわけです。この膨大な金をどうするのかと。そして、経営トップは給料を下げるべきだと言われたら、ゴールドマン・サックスは、借りた金は返すからと、啖呵を切ったのです。

 こういう状況のもとで、お金が何に使われているのかが、全く追跡調査も行われていない。救済しなければならない不良債権はいくらあるのかの調査すら行われていない。何よりも、誰も犯罪に問われていない。その内に、オバマ政権の化けの皮が剥がれてくるだろうと思います。

危機に瀕するアメリカ

 不思議なことに去年の一〇月ぐらいから、アメリカの新規国債発行額が減っています。月額三〇〇億ドルから一〇〇〇億ドルの規模でどんどん減ってきています。

 ニューヨーク市長にブルームバーグという人がおります。じつは、私もほとんどの経済情報のインプットはブルームバーグのテレビ放送から得ているのです。そのブルームバーグはニューヨーク市長ですが、市長の給料をもらっていません。自分の情報誌で儲けているのです。このブルームバーグが、『ニューヨーク・タイムズ』に、「誰がアメリカ国債を買うのか」という問題提起をしました。

 アメリカ人は誰も買わない。少なくとも、一カ月に一〇兆ドル規模の国債をどんどん新規発行しなければオバマ政権はやっていけません。かつての借金の借り替えも含めてです。それだけの国債を誰が買うのか。先日、麻生総理がこそこそとオバマに耳打ちをしていました。何を言ったのでしょうか。考えられるのは国債購入話しでしょうね。

 しかし、日本だけでは持ち切れません。当然、中国を巻き込まなければならない。中国は大体二二%のアメリカの国債を持っているのです。日本が二〇%です。合わせて四二%です。これをとにかくいまよりももっと増やしてくれという交渉をオバマ政権はしなければならない。オバマ政権は、日本にまず頭を下げてきて、肩をぽんぽんと叩いておいて、いまから本格的な交渉を中国とやるはずです。

基軸通貨ドルとアジアの位置

 日本は、国内需要を上回る生産をしてしまっています。売らないかん。売る時には、借金まみれでサラ金地獄に陥っているアメリカが一番いいお客さんである。だからアメリカに売る。トヨタなどでも少なくとも三〇%は国内需要を上回って生産しました。アメリカがバブルにあおられているから買ってくれていました。

 奇妙なことですが、世界中にドルをばらまいたが故に、アメリカに最もたくさんの需要があるという、転倒した社会ができているのです。ドルが基軸通貨であり続けるのは、世界からモノを買ってくれるからに尽きるのです。バブルに依存しなくてもすむような経済体制を作る必要があります。日本一国だけ作るのは無理ですから、東アジア諸国、ASEANといったものと連携プレーをとるしかないでしょう。

 とにかく連携をしながらアジアとタイアップしていき、草の根的人脈を一刻も早く作って、アメリカは、その他大勢の一つであるというところまで日本社会を変えていかなければいけないと思うのです。その時に初めて、ドル体制からの脱却ができるであろうと思います。いまは、ドルが潰れたら日本経済も潰れるのだという、そんなことばかりが言われています。しかし、アル中地獄でそれを避けるために迎え酒をするのと同じ論理でのアメリカへの依存症は、断固やめるべきです。

 どれだけの人脈を私たちは持っているのでしょうか。中国、ロシア、インドなどとの人脈作りに失敗してきたのです。とにかく私たちは、世界にいろいろな人脈を作っていかねばならないのです。アメリカは、アフガニスタンでカルザイを大統領にしました。カルザイはユノカルというアメリカの石油会社の一社員でした。その一社員を大統領に仕立て上げるアメリカの政治力はすごいです。

 私たちには、それができない。特定の親分だけを頼って、それこそいろいろな分野における活動ができていないというのが現状です。そのために大学があるのだと私は思います。大学をもっと活用してください。大学というものは、そういったところに人材を派遣していくための養成機関なのだと、是非思っていただきたいのであります。

 とにかく、日本はそれこそ明治維新以降、初めて、国際社会に向き合ってくる時代に入ったのだと思います。

 アメリカへのノスタルジアはあります。私もアメリカは好きです。けれども、このまま行ったら日本の将来はありえません。やはり、せめてドイツ並みになりましょう。ドイツはアメリカの国債を全然買っていません。でもアメリカから苛められていません。このように私たちは、他の国はどう動いたのだろうかという勉強もしなければならないのであります。

 そういう意味で今回の苦しみは、アメリカもその他大勢の一国なのだということを多くの人たちに分からせました。アジアの文化とか、中央アジアの文化とか、そういうものに対してわれわれの目が見開かれることを私は願っています。苦しいけれども、脱アメリカとまでは言い過ぎですが、せめて距離を置く政策プランを作っていくべきだと思います。そういう機運ができていると思います。

巨額な欧米の不良債権処理とアジア

 第二のIMFというものをアメリカは作るかもしれません。いろいろな債権・債務をそこに全部集約する。モラトリアムという金融の棚上げです。これをやるためにG二〇が最大限利用されていくと思います。そしてアメリカ自身は、断言できませんが、ドルの五〇%切り下げを断行するであろうと思います。そういう、もの凄く劇的な劇薬を注入するはずです。

 その時に何の心の準備も政策的準備もなければ、私たちは右往左往しますから、その可能性を考え、中国とのつき合いをこれから真剣に考える必要があると思います。やはり、アメリカの国債を大量に買っており、お互いに被害者なのですから、どうするかということをお互いに考えていくしかないのであります。

 そういう意味で、私は、アジア共通通貨はかなり早期にできると思っています。この金融危機がアジア共通通貨を具体化させていくだろうと思います。日本だけで孤立し、円だけで話をしていることは出来ません。ヨーロッパにはユーロがあり、少なくともチャベスを代表とする南米でも創ろうとしています。我が日本だけがローカル・マネーです。

 少なくともアジア共通通貨を考え、経済的なお互いの原則というものを確認し合い、輸出入を常に均衡させ、絶対に圧倒的輸出をやらないという、今後のアジアは、そういう方向で動くだろうと思っています。その意味での人脈作りが重要です。

 これからのアジアはもの凄いブームになるはずです。しばらく苦しみますが、アメリカになくてアジアにあるのは鉄道です。新幹線やリニアモーターです。これは日本の技術です。フランスやドイツに比しても、日本は優位にあります。

 この技術で、少なくとも東アジアからヨーロッパまで大陸横断鉄道が、ほぼ出来かけているのですから、そこに私たちが参入しなければいけません。うまくいけばカリフォルニアの大鉄道計画にも参入できます。私たちの財産は、先人が一所懸命作ってくれた技術の蓄積です。この蓄積を活かしていかなければいけません。

 私はその最大の蓄積は農業だと思っています。二千年間連作の稲作をして、塩害が一つもないのです。この技術は世界最高の技術です。アメリカはとにかく地下水を汲み上げるので、すぐに塩害が出てしまい、その土地を捨てて、また別のところに行くけれど、日本はこの狭い国土に農業を二千年間も維持してきたのです。これを発展させていくべきだと私は思います。

 日本は、農業を再生し、コシヒカリやフジリンゴのように世界に誇れるものを作る日本の農民の方々に、私たちはもっと力になってあげることが一番大事なのであると考えます。そして、日本の経済のあり方へとにかく、モラルとは何なのだという基本的なところに、われわれはもう一度戻ってきているのです。その時に日本が生きていくのは何か。

 日本の一番の強さは金型産業にあると思っています。地域の、東大阪の、福井の、東京の大田の、この金型産業にあると思います。ところが、いまや金型産業が危ないのです。

 創業者はほとんどがもう七〇歳前後です。彼らが相次いで廃業してしまったら、日本はどうなるのでしょうか。トヨタやホンダといえども、部下の金型産業なしにはやっていけないのです。ジャスト・イン・タイムと言うけれど、全部これは関連会社が部品を持っているのであって、トヨタは組み立てるだけなのです。ですから、関連産業が潰れたら、日本の親分産業も潰れます。

 いま一番大事なのは、大手企業の赤字を救済するためではなくて、日本人の八〇%が就業している中小企業に公的資金は注いでいくことだし、そしてその創業者の営業を新しい人たちに禅譲していくことだと思います。

 そこで、私はESOPということを提案しているのです。従業員、地域の人間たちが、その企業の株を買い支える。株とは、企業の参加証なのです。この原点に戻ろうと。いま、若者たちは、地場産業で働きたいというようにもなってきています。この時に、私たち大人たちがそういう流れを作り出していくことが必要です。

 地域通貨を発行したり、地域商品券を発行したり、いろいろな地域の足腰を鍛えていくことです。

 こういったことをやっていれば、つまり結とか連とか、そういう日本的な文化の再発掘ができれば、私たちは生きていけるのではないかなと思います。反グローバリズムになる必要はないけれども、あまりにも地域を軽視し過ぎたつけが回ってきたのだと思います。

 ですから、私たちのお金は地域銀行に預けよう。地域の銀行が地域の雇用を守るという約束で、私たちはお金をそこに預けていこう。こういう運動を展開すれば良いと思います。そうすると、巨大な日本の貯蓄率が地域金融を復活できます。私は本当に、そういうことだと思っています。

 いろいろなやり方があるのでしょうけれど、とにかく経営陣の給料を高くすればするほど、給料はコスト計算していって、結局赤字になって法人税を払わなくてすむという、この会計原則をたたきつぶさなければいけません。企業は税金を払いたくないために経営者に高い給料を払い、従業員は削っていくのです。

 これはおかしいのです。取引額に応じて、少なくとも税金はとるというようなシステムを作りながら、地域の足腰を鍛えていくこと。

 自給率が低下していると言いますが、日本で廃棄され農産物の額は、日本の新規生産額と同じ額なのです。ですから、自給率が四〇%というけれど、あの廃棄率がなくなったら八〇%にぽんと上がるのです。如何に私たちが無駄な生活をしているかということです。

 いまの状況は、もう私たち全員が被害者なのです。大学関係者までも、市場で価値をつけられない金融商品を売りつけられたのです。こんなものが認可されるのが不思議なのであって、そういう意味では大学経営陣の方も、私たち従業員も、どうすればいいかということをみんなで話し合って、この苦難を乗り切るということが大事なのだろうと思います。それを契機として、金融の在り方の基本形をもう一度、私たちの身近なものに持っていくというようになっていけばと思います。

 

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