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最近の労働運動について思うこと
ーー労働運動四十年の私の経験からーー

連合京都 元会長 勝本 光一

 2009年の夏に病気をしまして、前立腺のがんで、それも全部取ってしまう手術をしました。五十歳過ぎたら前立腺肥大とか前立腺がんの患者さんがものすごく多いのだそうです。
 そして、病気の場所が場所だけに、若い看護師さんもいるし、ホンマに恥ずかしい思いをしました。(笑)
 私は病気なんてのはめったにしない人間でしたけれど、今度だけはまいりました。
 しかし、活動を今年から再開するということでございます。

要求はあるが、運動がない
 さて、労働組合もいよいよ春闘が始まります。

 私は、春闘の闘争方針なるものを、かつて所属していた金属機械から入手しまして、「入手」といったって隠れて手に入れたわけやなしに、「くれ」って言ってもらってきたんですが……。

 実は私、これ見てビックリしたんですわ。なぜかと言うと、私は二十年前に連合京都の会長やってましてね、それは金属機械の委員長と二つ兼ねてたんですけど、おそらく私が手がけてきた方針とちっとも変わってないわけやね。

 変わらへんのになんでこんな状態になっているのかと言うとね、要求はなるほど一万円を出して、そして職場でいろいろな意見が出たものを取り上げているけれども、これを獲得したという実績、つまり運動がないということなんです。

 要求はあるけれども、労働運動が消えてなくなっているというのを、私は感じたんです。

 そういう意味では、こんにちのこの世の中、非常に厳しい状況、環境になっているということは、まさしく労働組合の責任は非常に大きいということで、実は私自身が悔やんでいるような状況でありまして、いま労働会館に週2回行ってますので、あっちこっち行っては「もっと闘え」「何をしてるんや」とか言うもんやから、「あのオッサンまた文句言いに来てる、状況も何も分かりもせんと」と言うてるらしい。そりゃ、情勢、状況やら細かいことは確かに分からんけども、しかし、やろうとしていることは間違いないと。しかし、「獲得できてへんやないか」ということを実は私、言いたかったわけです。

 それでいよいよ、春闘の方針もほぼ各単産、出そろいまして、そして3月24日か25日に集中回答日を指定して、二月の中ごろには要求を提出すると、こういう段取りになっています。

 その間、交渉を積み重ねて、3月の24日か25日には一斉に回答を出させるようにということで、運動に取り組んでいるようであります。

 これに対して、経営者のほうが盛んに言うのは、もう新聞でも明らかなように、「こんにちのこの状況の中で支払い能力の問題がある」とか、「とても、そんな要求には応えられん」と、そんなことを言っているわけです。

 問題は方針書も、JCの方針もそうなんですが、連合の方針なんか見てみますと、まず「構造維持分を確保しなさい」と。「構造維持分」というのは、定期昇給のことなんですね。「定期昇給」というのは、定年になって辞めた人、新しく入ってくる人、その差額が出ます。それを従業員から見たら、24歳でもらっていた賃金を、一年たったら25歳になるわけですから、その分を確保しろ、ということです。中身の分析はいろいろあるんですけれど、要するに賃金を構造維持分、定期昇給を確保しろ、ということを盛んに言っているわけですね。

 後の上積みについては、ベースアップについては、それぞれの単産や単組で決めなさい、と。これも無神経な話だと思うんですけど。

 今どうなっているかと言うと、例えば賃金カーブがずっとあって、24歳、25歳、26歳と、定期昇給がこういうふうにいくみたいに思うけど、実際はじっと、こう動いているんですわ。だからちっとも増えない、低下しているわけですわ。それでいかにもいくみたいやけども、ズレていく線を描いているという一つの大きな問題があるわけです。

 まあ、そういったところで、「定期昇給を確実に取れ、確実に取れ」って、連合やJCなんか盛んに言うてますけど、要するに「ベースアップはもうあきらめよ」というように僕には聞こえてならないわけですわ。

年金でストライキをやった「国民春闘」のころ
 70年以降の労働運動の歴史はいろいろあります。要するに「国民春闘」といわれたのは一九七〇年。これは総評の大会で、賃上げだけでは労働者の生活は改善できませんよ、と。税金や年金を含めて社会保障制度の充実として国民春闘路線を取り組もうということで初めて提起したわけです。

 この時代でも、総評の大会でも実はいろんな議論があって、例えば「機関車労働組合」というのが昔ありまして、一方、たばこの、三公社五現業というのがありまして、その中で国鉄は「3K」の一つとして赤字がどんどん出てくると。その中でたばこはもちろん黒字で、国庫に納めているくらい稼いでおると。三公社五現業ではたばこの賃上げがいちばんが多かった。それから国鉄機関車労働組合、これが低かった。

 それで総評のあの大会で、「毒をつくっているところがぎょうさん月給上げて、夜中、寝ないで人を運んでいるわれわれがなぜ低いんだ」という意見が出てね。そしたらたばこのほうから「毒とは何事や」と。今から思うとおかしいくらいの見解が出てね。

 また、私鉄なんかはバスの運転をしている人の賃上げが1万円そこそこ、当時でね。ところが、競馬の馬を運んでいる運転手は4万、5万も月給が上がったと。人間を40人ほど乗せて運んでいる者が少なくて、馬を運んでいるのが多いと。「馬が大事か、人が大事か」と、滑稽な議論がありました。この時代の総評では、その場に私もおりましたが、こんな議論がまことしやかに行われていました。

 それにしてもや、ちょっとでも賃上げをしようと、国民のために頑張ろうと、そういう表れがこの国民春闘の中にあったと思うんです。

 私らも自分の経験ですが年金でストライキをやったんです。私たち金属機械は年金でストライキやったんで すが、ところが電機やいわゆるJCですねーーJCの大手といえば、自動車、電機、鉄鋼、造船ーーここらの連中はとにかく「年金でストライキやるとは何事だ」という考えでした。

 われわれのほうは、「まさに国民春闘であって、政府に対して年金を上げろ、という運動をするのは労働運動の一環である」と考えまして、実はストライキをやったんです。

 そして、その時は会社側は「これはあくまで政府に対する要求だから、年金問題についてウチは答えられない」と。賃上げやその他労働条件ならともかく、そういうことでストライキをやるというのはけしからん、とその当時の幹部、私も処分を受けて。まあ、そんな闘争もやってきたわけです。

 でも、いつまでたっても問題になるのは、4つの労働組合が、私から見たら大きな問題であったというふうに思うんです。

 だから、もともと労働条件というのは、労資対等の立場に立って、労資話し合いによって決めなさい、とこうなっているわけですね。それは労働基準法、みなそうなっているわけですわ。だから、労資対等の立場で、話し合いによって労働条件を決めようということで、われわれは団体交渉をずっとやってきたんですけど、鉄鋼や造船、大手を見てみますと、まあ、ほとんどが「川上から川下へ」というあの4つで日本の下請けなんていうのは形成されているわけですね。

JCの大手ーー自動車、電機、鉄鋼、造船との葛藤
 例えば自動車でしたら、私は高校卒業してGSバッテリーに入社したんですけど、バッテリーももちろんそうだし、タイヤもそうだしね、部品メーカー、鋳造、鋳物屋など、ほとんどが自動車の下請け、息のかかっている、そういう産業でした。

 その時にトヨタ自動車の労働組合の幹部が私のところに来ましてね、「自動車労連の一員として加盟しないか」という話がありましてね。その時、私たちは「そんなの入る必要はない」ということで断ったんですけど。

 とにかくそういうことで、会社のほうは、トヨタと比べて、もし日本電池の賃上げが多かったら、トヨタ自動車と自動車総連としては、労資一体になってもっと品物の値段を下げろ、ということで完全に抑えつけられる、こういう恐怖があって、われわれの要求には応じてこないというのが非常に強かったですね。

 そこでわれわれとしても、そういうトヨタや日産、自動車総連一体になって締めつけてくるんですからね、これは本当に困ったもんです。それで、とにかく「お前たちはけしからん」ということで、圧力がかかった。

 それで、ある時、宇治に日産自動車があったんですわ。ここが労働条件も全然上がらんし、組合員を処分するという事態がありまして、私たち京都の傘下の者がビラまきに行ったんです。その時に救援活動に行こうということで呼びかけた時に、自動車総連は全部反対したんです。「する必要はない」と。そやけど、われわれは放っておくわけにはいかん、と。労働運動というのは、全体がグワーッと盛り上がらんと、とにかく闘わないといけないということで、私たちがビラまきに行ったら、向こうの組合員、組合役員でっせ、彼らが、私らが付けてる名札をみなバーッと取って、会社の名前も入っているから、会社に電話して、「だいたい、お前のところの従業員はけしからん。俺とこの門前でビラをまいとるやないか」と、そういう圧力をずっと昔からかけてきたんです。その圧力をいかにはねのけるかというのが、運動の、私たちの基本であったと思います。

 それから、今までを振り返ってみますと、労働者、労働行政と言うたら、労働者と経営者と公益の先生方で、三者構成でだいたいやってますわね。地労委もそうだし、それから各種の行政委員会もそうです。

 運動してるときにね、バーッと労働組合が経営側を押しているとか、向こうからも押してくるとか、こういうの肌で感じるわけやね。「今、われわれ押してますよ」と。これも分かるわけです。そしたら、地労委の命令まで変わってくるんやね。だから、運動を実際、実践でやっている者にしかなかなかそういう感覚は分かりませんけども、押している時には、地労委の命令も変わるし、行政も割合言うことを聞いてくれた。しかし、今度押されてきたときにはね、もう経営者なんて理念もくそもないからね、例えば稼ぎが少ないと、あるいは赤字が出たという時には従業員のクビでも平気で切るじゃないですか。で、もうかった時は、「わが社は今こそ内部留保を強化して次の厳しい時代に備えなければならない」と言って、一銭も出さへんわね。そういうことの繰り返しなんですね、経営者のほうは。ですから僕らは経営者なんて全然問題にしてませんけど、ともかくそういうことなんだと。

「査定」に抗して「対等」を
 レジュメに「生産性向上運動」とありますが、この運動の評価をするつもりはありません。ただ「生産性の三原則」「雇用の維持・拡大」、これは経営者も労働組合も入って決めているんですよ。「一、雇用の維持・拡大」「二、労資の協力と協議」「三、成果の公正配分」、これ今、あてはまるかと。だから、今の状況から見て、ちょっと古い資料から引っ張り出したんですけれど。

 私も生産性本部の、実は連合京都の会長をしているときに副会長でここへ入っていたんです。その時、経営者は盛んにこれを言っていたわけです。経営者は「皆さん、一生懸命働いてくれ」とかなんとか言ってますが、「雇用の維持・拡大」「『労資の協力と協議』が必要です」「そこで稼いだカネは公平に分けましょう」、これは経営者は一貫して言っているわけですわ。そやけど、やっていることは違うと。

 彼らがやっていることは、こんな時代でもやっぱり、クビを切ってきたし、そして経営者のほうは、できるだけ労働者に自分たちの言うことを聞かそうということが顕著に出てきたわけですね。その証拠にこのあたりから、それぞれの企業にはあるんですよ、査定。査定というのか、点数というのか、まあこういうものを導入してきて。

 昔は、70年以降の労資の関係というのは、もちろんよくやるヤツには手厚く、あまり仕事やらないヤツには手薄く、ということでやってきたけど、労働者全体として、「これでは労働運動にはならない」ということで、できるだけ査定をなくそうという運動をやってきたんですね。だから、「皆、対等だ」と。例えば当時のことですが、今はみな中国に行ってますが、現場でいうと、流れ作業というのがどこの会社にもありましてね。流れてくる製品の上に刻印をしていたら、隣で働いている中学出てきた女の子も定年間際のオッサンも仕事の量は一緒やと。そういう論理がありまして、できるだけ一つのものについて公平に扱っていこうという、まあそういう運動をやってきた。例えば一万円賃上げしたら、そのうちの千円だけ査定に配分する、こういう運動をやってきたんですね。

 ところが七〇年以降、このころになってきますと、「これを拡大したい」と。そうしたら、やっぱり労働者というのは分断になりますね。それで今、「ウチの賃金は平均ナンボ」「誰それはナンボ」と分かりますけども、昔は皆分からなかった。公にしなかったから。そこで給料明細書、便所に入ってちょっと見てみたり、「俺の点数ナンボや」とか人には絶対見せなかったですよね。それがオープンになってからね、みんな、それをやりだすようになったと。

 これは、たちどころに各労働組合に波及しまして、「ウチはどこそこの企業に比べて賃金は低い。だから、もっと獲得せよ」「相手に比べて俺が低いというのはおかしいやないか」ということで、企業に対する不平・不満みたいなものが、そういう賃金その他を明らかにすることによって、噴出してきた。

 これは、労働運動としては後ほど非常に大きな力を発揮していくわけですけど、まあそういう状況もありました。

 それから、当時はまだ雇用の形態から見てみましても、終身雇用や、年金の年功序列や、企業別労働組合、そういう中で働いてきたわけですけど、その「終身雇用」というのはまだこの当時としては労働組合として、派遣業だとか、アルバイトとかそういうのはまだまだ少なかったんですけど、この当時は終身雇用、あるいは年功賃金、このことが日本の企業を支えてきた、というふうに私は思うんですね。

 だから、私ら後ほど「お前は古い」と言われたこともありますけど、決してそうではなくて、終身雇用や年金、賃金、年功序列賃金やあるいは企業別労働組合、それはそれでエエやないかと。企業別労働組合の横のつながりをより強化していくということが、むしろ重要ではないかというふうに考えてきたわけです。

 そのことが、時代も良かったのかも分かりませんが、「一億総中流意識」みたいなものを生んできたのではないかと思います。

強化された労働組合つぶしーー民営化
 そこで、1975年から85年にかけて、企業側はまず労働組合をつぶさなきゃならん、と。「労働組合をつぶさないと経営者としてうまい汁を吸うわけにはいかん」ということで、このあたりから非常に強化してくるわけです。そこで、日米安保闘争も皆さんご承知のように闘ってきましたし、あるいは三池闘争、公労協の統一闘争や年金スト、まあこういったことが、闘う中で経営者のほうは逆に自信をつけてきたな、と思います。これが後ほどの小泉内閣の政策に反映されてくると。とにかく、国鉄の民営化というのは、国鉄労働者というのはかなり闘いましたしね、だから、よく闘った組合をつぶすというのが、彼らの一貫した狙いであったと思うんです。

 私たちも国鉄の闘争にもずいぶん参加しまして、そこの労働者からいろいろ話を聞きましても、これは完全に組合つぶしだ、ということだったんです。ところが国民や、労働組合の一部ではなかなか国鉄の組合つぶしなどとは気にも留めなかったと。むしろ、「民営化してあの赤字をなんとかすると言っているのだから、それでエエやないか」という、そういう世論といいますか、世論操作がずっとありまして、そして結局、民営化につながっていくと。まあ、そういうことだと思うんです。

 その後、電電公社やたばこ、郵政の民営化、あるいは企業合併とかいろんな動きがあって、労働組合がだんだん弱体化していく、組織率が低下をしていく、ということになってきたというふうに思うんです。労働組合もやっぱり社会的な責任は大きい。というのは、一つは労働組合がわが国でいちばん大きな組織であるということ。数からみたら労働組合がいちばん大きな組織で、18%くらいになったわけですけど、それでも18百万とか、2千万近く組織されているわけですから、これは創価学会がなんぼ大きな組織といったって、労働組合には勝てないと。まあ、わが国いちばんの大きな組織力をもっている。これが一つ。

 それからもう一つは、毎日職場に集まってくるということ。ほかの団体と違って、労働者は毎日職場へ集まってくる。そういう意味では大変組織しやすい状況になっているということで、労働組合としてはできるだけこれを組織化していこうじゃないかということで取り組んできたけども、なかなかうまくいっていないというのが現状ではないかと思っております。

グローバル化の影響ーー「胴抜き体制」
 なぜ、こういう現状になってきたのかということを見てみますと、やっぱりグローバル化、つまり国際化してきているというのは、非常に大きな出来事だというふうに思うんです。

 私ら、以前に京都の経営者と懇談したときに、「仕事を外国に出すな」ということをよく言いました。この時から「胴抜き体制」ーー「胴抜き体制」というのは、魚の絵を描きますと、頭、それから尻尾、これ除いたら胴なんですわ。それで、頭と尻尾を残して「胴抜き体制」、「胴」を抜いてしまう。「頭」は何や言うたら、まあ「設計・技術」やその他、まあ相当高度な労働力が「頭」。それから「尻尾」はね、「販売」。それから「胴」は全部外国に持って行く。こういう政策に転換してきたんです。

 これはね、僕はそれやられたら大変やで、と。今は就職難、就職しにくいという状況もあると思うんです。つまり、誰でもできる仕事がなくなってきたということなんです。設計だって、誰でもかれでもできるわけやないしね。営業だって、誰でもかれでもできるわけやあらへん。簡単な作業はだれでもできると。これは、政府・通産省が、当時の通産省は「できるだけ、海外に持って行け」ということになって、もう現場から単純な労働はほとんどなくなりました。まあ、私も昔働いていたところにたまに行くんですけど、もう人は替わっている、仕事の中身も変わっている。単純作業はもうほとんどありませんね。それはね、みな中国に持って行ってるんです。それでウチの従業員を中国に派遣して、一カ月なら一カ月、中国人とメシを食いながら、仕事を教えて帰ってくると。それもまた当たり前のようにね、日常そういうのが行われている。このごろ職場でも、私らの若いころは海外出張いうたら皆喜んで行ってたんやけど、このごろ海外出張、海外赴任いうたら、皆嫌がってね、もうほとんど行きませんね。もうそこまで変わってきているわけですわ。

 それで、グローバル化によって、仕事の量は完全に減ってしまった。よその会社はあまり知らんのですけど、私が働いていたGSバッテリーとユアサ電池が企業合併したんですね。つい最近ですわ。かつて、ユアサ電池と日本電池とはもうライバルでして。それで、労働組合もライバルでして、そこを「一緒にとにかくやろう」ということで、「全日本蓄電池産業労働組合連合会」「全蓄労連」ちゅうのを私が会長で組織しましてね、そこには日本電池とユアサ、これ専業メーカーです。それであとね、日立、松下、古川、これはほかの産業メーカーで電池を一部でやっているという感じ。そうしたら、これをつぶすわけにはいかん、国としても。ところが、どっちも専業メーカーだったら、合併がしやすいと。バッテリー会社はビールといっしょで非常に少なくて、五つしかなかったんです。全部で五つしかなかったのがですね、自動車産業がだいたい12百万台で、バッテリーも12百万個あったらいいと。これは新車用。それから補修が倍くらい、まあ二倍くらいあって、三千万個か四千万個つくれば十分間に合うと。そこへトヨタ自動車はね、「バッテリーの値段が高いからもっと下げろ」と。「ウチは自動車を外国に運ぶときに、『帰りに空っぽで帰るのよ』」と。そういう脅かし方やね。「船に満載して米国に持って行きます。帰りは空っぽで帰ってくるのよ」と。つまり、「バッテリーを持って帰ってくることだってできるのよ」と言うて、徹底的な値引きを迫ってきたんですね。私ら会社によく言いました、「百円札貼って売っているようなもんや」と。

 そこで問題は、やっぱり労働組合が強くなかったら会社はつぶれる……今でも私はそう思っている。労働組合が弱かったら、もうバッテリー会社はみなつぶれていると。とうにつぶれていると思うんですわ。それで、労働組合が強かったからね、それで会社は頑張りよるんですわ。例えばね、賃上げ闘争でも、だいたいよそより低かったら気に入らんと、よくストライキやり倒して、月給上げさしますやん。ほんじゃ、その時にね、トヨタが「もっと下げろ」と言ってきたときにね、「そんなことされたら、ウチの会社はつぶれますよ」と。つまり、組合員によってつぶされるというんじゃなくて、トヨタにそんなんされたら「ウチの会社はつぶれますよ」と。「トヨタが値引き言うてるから、お前らちょっと辛抱してくれ」ともし組合に言ったら、組合にひどい目に遭うと会社は言うて、徹底して「組合、組合」と言うて、トヨタにかかってきたわけですわ。

組合が強い会社はつぶれない
 つまり、組合が頑張っているところでは会社は簡単にはつぶれませんわ。組合の弱いところはみなつぶれてますやん。組合があるかないかのところ見たらね、本当そうですよ。会社の言うこと聞いて、「ハイ、ハイ」って聞いているところはだいたいつぶれています。だから、労働組合が強くなかったら会社はつぶれるということを、私ら常に感じていましたね。

 例えば、フランスの文豪、モーパッサンはね、格言の中でこう言うてんねん。これが俺の運動の原点なんやけどね。つまりね、「世の中には物分かりのいい人と悪い人がいてはる」と。「しかし、世の中は確実に変わりつつある。それは物分かりの悪い人のおかげや」と。そう言っているんですわ。だから、俺はもう、物分かりの悪い人間にね、労働組合としては、物分かりの悪い人間にならないかんと、盛んに労働組合には言ってきました。

 そんなことで非常に厳しい環境の中でありましたけど、労働組合がやっぱりしっかりしないとダメだなあと思います。

 それから、少子高齢化の問題も影響していますし、まあ情報社会、また地球環境の問題とか、世の中が大きく変わりつつある。冒頭言いましたように、労働組合はちっとも変っていないと。ここが問題で、これから何をすべきかという問題もちょっと触れたいと思います。

 それから戦後五十年、米国からの「年次改革要望書」、これは小泉政権が確実に実行した部分でしたね。規制緩和、あるいは自由化、民営化、これは小泉内閣が盛んに言うてたわけですが、詭弁とごまかしの5年間、国民へのツケ回し、失業率、あるいは正社員を非正社員にとか、いろんなことがありましたけど、これは日本の国民にとって非常に不幸な出来事の小泉内閣の5年間であったなあというふうに思います。

 これは労働運動の中でも、規制緩和とか自由化という問題について、労働組合の説得材料に会社は使っていました。

「そんなに言うことを聞かなかったら、規制緩和で自由化あるいは民営化で労働者自身がクビを絞めることになるよ」ということで、これは京都の労働運動の中でも盛んに言ってましたね。だから、京都でも経営者団体がいくつかありますが、経営者協会というのはだいたい労務部がやっているんですね。だから、工業会だとか商工会議所だとかは、もっとほかのことをやっとるんですが、経営者協会というのは労務をやっとるんです。その間、労働者に対していろんな組織づくりをやってまして、例えば誕生会でいっしょに社長とメシを食うとか、それから何課の課長をはさんでどっか旅行に行くとか、という懐柔策をね、非常に激しくやってきたんです。

 それでも、しっかりした労働組合は「誕生会なんてやめてくれ」「こんなんやめてくれ」って言っていたんですけど、しかし、それに「物分かりのいい人」がね、「ウチの会社はエエ会社や」と、「エエ社長や」ということでホイホイついていく。これが第二組合をつくる、という経過がありましてね。要するに労働組合と経営者が押したり押されたりと、そういう状況もありました。

 それから私の経験では、鳥取の何て言ったかな、三朝(みささ)温泉の、駅で言うたらその一つ向こう側の駅の近くに「中国工業」という会社がありましてね。中国工業はプロパンガスのボンベをつくったり、それからマツダ自動車のガソリンタンクをつくったり、要するにタンク屋さんですね。ここのタンク屋さんで兄弟が働いていたんですが、兄が労務課長、弟が労働組合の書記長なんですわ。ここで大きな闘争が起きまして、会社のほうはこういう論理やね。「会社は売り上げが落ちてきました。いま会社には3百人、人がおります。50人船から降りてくれないか」と。「50人船から降りないと船が沈んでしまう。そうすると3百人すべて死んでしまう。50人降りたら、250人が助かります。だから50人降りてください」。そういうふうに言うてきたわけです。

 そこで、労働組合は「そんなバカな話があるか」ということでストライキをして、私らも応援しました。そして、すったもんだの、ヤクザまで入ってきてーーストライキやるもんやからーー、それで大騒動になったけども、最終的には会社のほうが折れて、事なきに至ったんですけども、その時の書記長は弟で、兄は労務屋でして。私ら言いました、弟に。「兄となんとか話にならんのか」。そしたら兄は兄で、会社から「弟と話つかんのか」と言われてね。そしてどっちもしんどくなってね、会うことも、そういう状況だからなかなかね。後ほど解決してからね、兄さんと弟といっしょに私らメシ食うたことがあるんですけど、そん時、言うてました。「会社ちゅうのは、『50人クビ切らんかったら、お前辞めろ』とそのくらい圧力かけてくる」と。「しかし、実際はそんな苦しくないんだ」と。「苦しくないけど、先読んでここでちょっとでも稼ごうとやっているんだ」というようなことを言ってましたね。

 それから京都で言うたら、樫藤鉄工。国道一号線に樫藤鉄工所というのがあるんですわ。ここでも同じ論理でした。これは百人ほどの企業でした。「30人、船から降りてくれへんか」。その時私、争議委員長で、交渉の矢面に立ってね、向こうさんとだいぶやり合いました。そしたら、そのうちだんだん景気が良くなって、ワイワイ言うてるうちにバブルになって、景気が良うなってきて、「あれは撤回します」となりましたけど。
 逆にね、組合がしっかりしていなかったためにつぶれた例としては、昔ですが、安宅産業とか山一證券とか北海道拓殖銀行なんかがありますね。安宅産業なんて新聞記者が集まって、「あんたとこの会社危ないでっせ」って言うたら、社長はびっくりしてやな、「ウチの会社そんなになってますのか」と。それで組合も「エライこっちゃ、エライこっちゃ」言うてたんやて。そういうところはつぶれると。

 ところが樫藤鉄工みたいに組合がしっかりしてるところはつぶれませんと、まあそれを言いたかったんですわ。

 要するに会社ちゅうのは簡単にはつぶれないんですわ。ちょっとでも稼ぎを増やそうということですからね。会社の論理でしたら、売り上げ、売り上げからマイナス経費、収益と。簡単に言うたら、売り上げから経費引いて残ったのが収益やと。ところが、企業の論理というのは、収益を先に持ってくるんやね。それで、収益を50億稼ごうと思ったら、売り上げナンボ売らないかんか、経費はナンボ抑えないかんか、これでくるわけですわ。

 だから、それでくるもんやから、経費を落とすか、売り上げを上げるしかないわけやね。だから、それを厳しく言うてくるというのが会社の常道、常套手段だと思うてるんですわ。そんな簡単に会社はつぶれるはずがないと、私ら確信してますけど。

貧困化が進み「婚活」すらできない労働者
 私ら40年、労働運動に関係してましたけど、どんな社長でも年頭のあいさつ見たら、「今年はいい」というのは一回もないわけですよね。「今こそ、わが社は最悪の条件で苦闘している」と。「今こそ、知恵のあるヤツは知恵を出せ。力あるヤツは力出せ。力も知恵もないヤツはクビを出せ」みたいなこと言うて、ハッパかけてきたのが会社側の姿勢ですね。そんなことめったにあり得ないと見て、闘ったらいい。最近はどんどん海外に出てしまうから、まあそういう状況になってきたと思うんです。

 それで労働組合もなんか「物分かりのいい人」がどんどん増えてきたせいもあって、非正規の社員を労働組合も認めてきたわけですな。これで非正規社員がどんどん増えてきた。私も労働組合の現場をしょっちゅう見に行ったりするんですが、制服の色が違うんですね。正規の従業員と色で変えているんですわ。中には同じ制服着せているところもあるようですけど。前は特別な通訳とか、そんな人はよそから来ていたんですけど、今はそういう状態になっていると。しかもね、正規の従業員は組合員として、労働組合はいろいろ賃金調査とかやっているけど、派遣の人たちなんか全然調査してないんですね。ナンボもらっているかも分からんのですわ。

 それで会社はね、最近聞いた話ですけど、正規の組合員に対して、派遣労働者に「お前、ナンボもらっているか?」と聞くなよ、と。「ボーナス、ナンボもらっているか」絶対言うなよと。言うたら、誰だって同じ仕事をしていて、「なんでオレこんなに安いんだ」と自覚しますわな。だから、「言うな」って。みなこれや。そんなことではね、労働運動は成り立たないと思うんですわ。だからオープンにして、「君ら、ナンボもらっているんか?」「実は子ども二人いて、15万や」と。「ワシな、30万や。同じ条件で30万もらっているんや。ボーナス、60万や。あんた、ボーナス、ナンボや?」「いや、オレは一カ月分や」と。そういう話をして初めて、闘う意欲みたいなものが湧いてくると思う。ところがもう全然、そういうことに欠けているのではないかというふうに思うんです。

 それから、非正規社員がいかに困難な状態に陥っているかということは、現場に入るといっぺんに分かりますよね。

 それから自殺者がすでに11年間続けて3万人超えているという記事も新聞に出ていましたけど、こんな国もちょっとないですわな。なんぼ何かて、年間3万人も死ぬなんて、しかも自ら命を絶つというわけでしょ。これはそういう状態。

 それから生活保護がどんどん増えている、預金ゼロの所帯がどんどん増えている、年金・税制・保障一体的見直しによる抜本的改革、それは別として、生活が非常に苦しくなっているわけですね。

 この間もちょっと面白い話を聞いたんですが、「婚活」という言葉、今ある。結婚活動か。そしたら女の子が圧倒的に多いんやてな。男は全然少ないそうだ。だけど、三十過ぎた独身率は男の子のほうが圧倒的に高い。女の子はちょっと低い。そやけど、申し込みは男の子のほうが全然少ないそうや。まあ、そらそうやな。係員が女の子に「あなた、希望はありますか?」と言うと、「希望あります」。「賃金は?」と聞くと「月にせめて五十万以上。大学は一流の大学出て、背が高くて、男前で」って、女の子、平気で言いますわ。希望だから。ところがね、男は「婚活」に申し込みに行きまっしゃろ。「あんた、給料ナンボもろうてますか?」と聞いたら、言わへんちゅうんや。女の子は「50万」、私は「15万」。「もう、初めから話にならん」と。だから、男の子は全然少ないんですって。それで、私の周りにも独身者おりまっしゃろ。「お前、『婚活』に行け」と言ったら、いっぺん行ったけど、とてもじゃないが、まともに正視して話できる状態やないと。そのくらい厳しくなっているんやね。まあ、それでは結婚せんヤツが増えますわ。女の子は平気で言いますがな。「月給50万円で、京都大学出て、背が高くて、男前で」と。そうしたら給料の安いヤツ、「婚活」になんか行けへんちゅうねん。そんなヤツは自分で探すしかないと。

若者に希望と勇気を与える運動を——職場集会の経験から
 もうそういう状況になっているというのは、やっぱり今の若者の貧困がそんなところに表れてきていると思うのやな。

 それで、若いモンは貧乏してたら車も買えませんがな、正直言うて。そりゃ働いて、これから先どういうふうになるか展望なかったら、車も買えませんわ。だから若いモンに希望と勇気を与えるというのを、これからの運動の基本に据えなきゃならない、と私は思うんです。

 それで、最後にちょっとまとめてみたいと思うんですけれども、さっき言いましたように、経営者の力はだんだん強くなってきています。なんで強くなっているかといえば、労働組合の組織率が下がっている、「物分かりのいい人」がいっぱいいると。それから、脅される。「お前、ぐちゃぐちゃ言うたら外国に仕事を出すよ」と。「あんた、仕事しなくてよろしい。人は笛吹いたらいっぱいたかってくるんや」と。「もう、エエよ」と脅かされる。経営者はだんだん力を増して、労働組合は力が弱ってきているのが現状ではないかと思います。

 それから、組織率の低下、あるいはデフレなどの悪循環ですね。組合離れ、組織率が低下しているということは、今は多少止まったと言われてますけど、やっぱり総体的には組合離れが進んでいる、あるいは賃金が低い、非正規労働者の職場進出などが大きな変化要因としてあるのではないかと思っています。で、労働運動の活動家育成の土壌が変化しているというのを、指摘したいのです。労働組合の活動家を育てるにはひところは職場集会がいちばんいい学校だったんですね。労働者の学校、いちばんの学校は職場集会ですわ。職場集会というのは、要求を自分たちが出す、職場集会で出す、会社と交渉をする、結果を職場集会で報告する、ノーやったら、もう一度会社と交渉する、持って返ってくる、「もうこのへんが限界とちゃうか」とすったもんだと議論をして、「なら、妥結しようか」ということが、労働運動の活動家を育てるのに最も有効的だと言われてきたんです。私らも職場集会の中で活動してきた人間ですから、非常によく分かります。

 大学でいくら労働法を勉強してきたからたって、一人前の活動家にはなかなかなれない。道が別だと。大学で労働法やとか、労働組合法など非常に知っている人もいましたけど、岸本ゼミの急先鋒やという人もいたけどね。しかし、活動家になろうと思うたらね、別に大学出なくたって、立派な活動家はいっぱいいますからね。これはやっぱり、職場集会を何回も何回も通して、一人前の活動家は生まれるし、話の仕方も「ああいうふうに言うたらいい」と覚えてくる。これは非常に大事なことなんです。ところが今はね、どうなっているかと言うと、職場集会の時間、会社は与えないらしいね。今まで私ら、「昼の時間、集まってください」と。12時に早飯食って、20分くらいには皆が集まってきます、45分から仕事始まりますから。そやけど、話や質問やらが終わるころに質問するヤツおりますがな、わざと時間を延ばして。それでも15分くらいやったら目をつぶっていたんですわ。それは「受忍義務やと、会社の」と言うてたんですけど、いま職場集会の時間があまり与えられていない、与えていないという状況になっているそうであります。

 それから、冒頭、私が申し上げましたように、「要求」はあるけれども「運動」がないと。もう「労働組合、どこ行ったんや」と。なるほど、街歩いていても赤旗が立っているところ見ませんし、メーデーも5月1日行ってもやってないし。もう「集まり、悪いから」って言って、メーデーの日変えて、27日か28日にメーデーをやっているとか。それから、労働歌を唄っている姿も見たことはないし、もう「労働組合はどこに行ったんや」というふうに思わざるを得ないわけです。

 そこで、こういうふうにやってもらいたいなというのが私の思いです。まあ、確かに情勢分析その他から見たら、「そんなうまいこといくか」ということになるかもしれないが。

いくつかの提言——成果を上げる運動を
(1)闘ってこそ組合員は結集する

 まず一つは、組合は闘うことによって、組合員は結集するものであると。つまり、賃上げも非常に難しい状況にある。確かに難しいが、ただ一回の回答もろうて、それで「やめようか」ということでなくて、それを拒否して闘う、と。そして、組合員との間で、もう疲れてヘトヘトになってね、それで顔と顔を見合わせてニッコリと笑って「もうやめようか」というところまでやれんかと。これは私は非常に大事なことだと思うんですね。だから、とことん犠牲になるまでする必要はないけど、しかし答え一回もらって、それで「やめよ」というんでは組合は強くはならないし、結集はできないというふうに思います。

(2)繰り返し闘うこと
 それから冒頭言いましたように、労働組合はわが国でいちばん大きな組織であるし、毎日職場に集まってくるということで、組織の条件が整っているというふうに思います。あくまでこれは労働運動でありますから、繰り返し闘うことが大事だと。運動ですから、いっぺん言うて「ああ、そうですか」というふうにはなりませんわ。それは何回も何回も闘っていかないと、やっぱりいかんと。例えば、沖縄みたいに何かあったら集まってワーッと気勢を上げる、何かあったら集まって気勢を上げる。そしたら「この次何かあったら、騒ぎよるよ」と。これがやっぱり無言の圧力になっていくし、回答を促進させる大きな要素になるんではないかと、私はそう思っています。

(3)非正規労働者の正規化をーー炭鉱離職者組織化の経験から
 それからやっぱり、今の状況の中で、「何が大事であるか」ということは、非正規労働者の正規化の運動、これはもうぜひやってほしい。私はそう思うんです。これは経験あるんですが、何年でしたかね、炭鉱離職者がワーッと出た時期がありますやん。炭鉱労働者が出たときに、政府からそれぞれの企業に「何人か採れ」という話がありましてね。そのころ、私らの職場にも炭鉱離職者が三十人くらい来たんです。これ皆、臨時工ですわ。もう年くっているしね、十五、六で来たんではないし、皆三十五、六のオッサンですわ。炭鉱を離れて来ているもんですから皆臨時工扱いで、二年ほどおったかね。その時、私ら労働組合として何をすべきかと。
 やっぱり、この人たちを組織化する必要があるということで、その人たちを組合員化する運動を展開しまして。これはもちろん、一カ所だけやなしに、全体として、総評として、その指導の下で、あっちもこっちも本工化した時代があったんです。それで、彼らが組合員化するということは、組合の力になりますし、同時に彼ら自身も組合に対する、なんと言いますか、義理もあるし、「なんとか言うこと聞こうか」ということで、非常に熱心でしたね。

 しかも、その人たちは三井三池闘争で鍛えられてますがな。もうその当時の人でね、それは鍛えられています。普通の労働組合とは違います。多少ストライキやったって、文句も言わんと黙々とついてきてくれたし。

 あれ不思議なもんでね、ストライキかて、「やれ、やれ。執行部、何や弱腰で。ストライキやれ」と言うたヤツほど、長いこと続くと「おい、いつまでやっている」と、だいたい言うてくんねん。それで、何も言わない人ほどな、いつまでやっても辛抱強くいてはんねん。そういうもんやね。まあ、それでもエエと。「入れ、入れ」と言うほど入ってくると私ら言いますけど。「信用できるかいな」と、「最後まで頑張るか」とよくやりましたけど。

 まあ、そういう運動もこれから非常に大事ではないかと思います。

(4)時間短縮闘争も、非正規を正規化にする運動も
 それから、時間短縮。労働組合が闘争で力を発揮するというのは、影響力をもつということです。それは、時間短縮することによって……労働者がぎょうさんいるわけですわ。そりゃ、今も少ない人間で時間外労働やっているところはいっぱいあるんです。それを労働組合は何も言わないですね。なんで言わへんかというたらね、「そんな、時間外労働みんなやめたら、人を入れなきゃならん」と。「入れたらワシらのクビが危ない」と。だから、皆そうなっている。小さく、小さくなっているんですね。

 だからやっぱり、時間短縮闘争も、それから非正規の正規化のことも、それを闘わなきゃならんと。

 昨日、私もらってきたんですけど、JAMの運動方針。ちゃんとね「非正規労働者の正規化」、これ皆謳うているわけですわ。「時間短縮」、謳うているわけや。それを、「実は20人いた非正規が10人になりました」とかね、成果というのはちっとも聞かへんねん。方針は、書いてあるには書いてある。全部書いてあるわけや、もう言うことないほど。ところが、実現していないと。ここが問題なんです。例えば、非正規を正規化にする運動を展開すれば、その人たちも労働組合についてくる、支援してくれるだろうということでね、これからの運動というのはそういうことを軸にして闘ってもらいたいと思います。

JAM
JAM京滋集会(2月25日)


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